こざわたまこ『負け逃げ』を読んで

抜け出したい、という感覚は、ここじゃない、わたしがいる場所は、わたしはこんなもんじゃないと言い聞かせるおまじないみたいなもの。執着じみたこの感情は、わたしたちの生きる糧。生命力の源。この感覚こそが、自由と希望の世界(田舎に生まれたら本当にそう見えるのよ)都会とはかけ離れた世界に住む自分を繋ぐ唯一の糸であるかのように。切れたらこの世の終わりとでもいうように。仮に抜け出したからといって、何が変わるというのだろうか。きっと何も変わらない。そんなことは誰も知っている。でも、匂いが空気が、そう思わずにはいられない。狭い世界は生きづらい、それは本当だ。でもそれは裏返すと守られている、ということなのかもしれない。何もないということが不自由とイコールではないということが分かったら。窓を開け放して寝るとか、大好きな音楽を大きな音で聴くとか、お風呂でなりきって歌うとか、すれ違いざまに交わす「こんにちは」が生む温かみとか、そんな当たり前のことが実は生きていく上ですごく大切で、愛おしいことに気づけたら。この町の空気が、風が、聞かせて、君のこと、なんて。随分と、この町のせいにして生きてきたけど、これからはちょっと愛せるかな。

負け逃げ

負け逃げ