くるり 『THE PIER』を聴いて

これは毎日同じ景色を見て、同じところを歩いて、似たようなものを食べて、寝て起きてを繰り返している人にはちょっと刺激が強すぎて、凄すぎて泣いてしまうんじゃないかなあ。え、俺泣いてる?みたいなことになっちゃうかもしれません。いやあ、でもこれは泣いちゃうよ。すごいよ、くるり。曲一つ一つははっきり言って、あっち行ったりこっち行ったり奇想天外なアイディアだらけでそう来る?の連続に眩暈すら覚える。野球に例えたらピッチャーが投げる球の緩急の差にまんまとやられて、バットに球がかすりもしないままアウトにされる、そんな感じ。わたしにはこの音楽が何に影響を受けて、どこに向かっているかなんて分からない。もしかしたら何一つ分かってないかもしれない。でも確かにこの14曲はしっかりとまとまっているし、そしてどの曲もくるりが生み出したものだと分かる。まず、そこに感動せずにはいられない。

この曲やばいやばいと一つの曲に対して覚える興奮と、アルバムを通して聴くことによってふつふつと沸き上がってくる興奮のボルテージは比べものにならないんだった。そうだった、とアルバムを聴くことに対する本来の楽しみを思い出させてくれる。くるりが産み落とした『THE PIER』は、このご時世「曲単位」でしか音楽を聴かない(聴けない)若者への挑戦状だ。くらえ。騙されたと思って聴いてみろ。なんだこれと思っても最後まで聴いてみろ。もしかしたら、人生変わるかもよ。

とにかくこの『THE PIER』というアルバムは、聴くことが楽しい。それはタナソーが『THE PIER』を「これから名付けられることを待っている音楽」と記したように、このアルバムの音そのものに加えて、このアルバムを聴くことによって湧き出る感情や思考がわたし、多分ほとんどの聴き手にとってもsomething newなものだからなのだと思う。新しいもの、得体の知れないもの、はいつだってわくわくする。ずっとそういうものであってほしいと思うし、そういうものに触れていたいと思う。まあ、このアルバムの一番の魅力は、一筋縄ではいかない楽曲、幾重にも重なった音が生み出した濃密な音の世界なのだろうけど、それ以上にこのアルバムには、言葉を手に入れたが故に私たちが失ったもの、つまり言語化できないものがたくさん詰まっているからなのだと思う。
とまあ、この作品の素晴らしさを語る上で歌詞の引用は全く必要ないのだけど、ふとした瞬間に飛び込んでくるフレーズがあまりにも素晴らしい。

流れ出した涙を バターで煮詰めて
「Brose & Butter」

泣いたのは お互い昨日の話で
「Amamoyo」

「生きること」に対するこの程よい余裕と前向きさ。

わたしが愛してやまない作家・窪美澄、脚本家・木皿泉とはまた違う視点で、生きねば、と「生きること」に対する使命感と共に、「生きること」に真っ向から向き合う生命力が感じられて、またグッとくる。『THE PIER』、それはわたしにとって「Remember me」の歌詞を引用させてもらうと、「遠く離れた場所であっても ほら近くにいるような景色」。Vampire Weekendの『Modern Vampires of the City』を聴いたときの興奮とはまた違った興奮を与えてくれる。1年前、フジのグリーンステージでVampire Weekendを観たときに「世界一クールなバンドを観てしまった」と呟かずにはいられなかったような高揚感を、くるりというバンドが近い将来、私たちに味あわせてくれると期待せずにはいられない。

フジロックのような世界的なフェスで「Liberty & Gravity」で世界中の人たちが踊って、目が合ったら笑って、ってそんなことを想像しただけで涙が溢れてきそう。

SNSを通して、タナソーと岸田繁が『THE PIER』のライナーノーツの話をしていて、死んだときに棺桶に入れる云々の話になった後に、岸田繁が「俺は死なねぇし、大事な人を死なさないよーだ」と呟かずにはいられなかった感じとか、もうグッと来すぎてまた泣きそうになったり。いやあ、くるり好きで良かったです。

CDに封入されているタナソーの愛情たっぷりのライナーノーツ(これがまた泣ける)も「くるりの一回転」|くるり official|noteも必読。